ステージおきたま

劇団と農業と韓ドラと、そして、世の中に一言

280年を生き抜く:ベガーズオペラ

 貧乏観劇ツアー3本目はベガーズオペラ。四季の『李香蘭』より、宮本亜門の『トゥーランドット』よりはるかに素晴らしい舞台だった。何が凄いって、まず、、この作品280年前の初演なんだぜ。日本で言うと徳川吉宗の時代。それが今に生き続けてる。驚きだ。

 貧民窟のベガーズ(乞食)たちが、一日劇場を借り受けて自分たちのオペラを上演するという筋立てだ。描かれる世界は、彼らの日常、つまり、金と色の欲望渦巻くどろどろの世界。スリがいて、かっぱらいがいて、強請がいて、追いはぎがいて、そして、売春婦たちがうごめく巷。

 役立たずの子分たちを密告しては賞金を稼ぐ親分。監獄の沙汰も金次第の獄吏。それぞれの娘は、こともあろうに名うての女たらしのキャプテンにぞっこんだ。娘二人は純愛を貫こうとするが、親たちは、娘を結婚させてからそのキャプテンを密告し縛り首にして、遺産をごっそりせしめようというあくどさ。

 ベガーズたちの主張ははっきりしている。人間生きるにゃ罪を負う、貧民だって上流階級だって違いはない。なのに貧乏人は裁かれて、お偉い方々は裁く側、この違いは何なのよってことだ。これ、当時のイギリスじゃあ一大センセーションだったろうね。面と向かって、支配階級の横面張るようなもんだもの。今だって、十分効いてるよ、日本の格差社会には。とことん非道の数々があっけらかんと繰り広げられる。ちょっと、『シカゴ』を思い出させるね。

 さあさあ、何から書く?うーんやっぱり演出の巧みさか。演出はジョン・ケアード、『レ・ミゼラブル』を演出した人だ。楽しい仕掛けがたくさんあったけど、まず一番は客いじりだろうね。ステージを4間四方ほど張り出してその上手下手に特設席を設けた。そこは何故か、S席より安いんだけど、それは徹底的にいじられるからだった。もう、開幕の前から、話しかけられる、装置の移動は手伝わされる、果ては肩を抱かれ、抱き上げられ、フィナーレではとうとう舞台にまで引っ張り上げられて踊り回った。最初はしつこいと感じた客いじりも、休憩に2階席まで上がってきての徹底サービスに気持ちもなごみ、最後は完全に舞台と客席が一つに融合していた。

 次にサービス精神過剰?とも思えるセクシーな演出。もったいないよねえ、日生劇場じゃあ。だって、お上品過ぎるもの、観客が。下北沢あたりでやったら、もう、やんややんやの拍手喝采だったろうに。特にキャプテン(内野聖陽)が女たちを品定めしながら歌うシーンのいやらしいこと!これぞ大人のお芝居だよ。えっ?羨ましかったかって?そりゃもちろんさ。

  装置も良かった。奥一面は三階建ての貧民窟、上手下手には中世の劇場風の貴賓席まで設けてある。そのそれぞれに役者が位置取り、圧倒的な合唱を聴かせてくれた。

 さて、ミュージカルの決め手と言えば、歌!これがめっぽうよかった。作曲ももちろんだけど、歌い手の歌唱力が抜群なんだ。当たり前だけどね。だって、出演者、ミュージカルの一線級の人ばかりだもの。『トゥーランドット』との差は歴然だった。なんか、ネームヴァリューでベガーズオペラが霞んでるみたいで、これは実によろしくないね。主役の内野が歌上手かったのにも驚いた。クライマックスシーンの彼のアカペラ、音狂わずに伴奏につながったもの、凄いよ。だって、音楽畑の人じゃないんでしょ。もちろん、彼の女たらしも魅力的だった。愛嬌があって、優しくて、ちょっと小ずるくて、あんな男に愛を囁かれれば、女は誰でもいちころだろうな。

 その他、追いはぎのシーンでは西部劇の駅馬車を襲うギャング達になっていたり、絞首刑になったキャプテンが、小屋主の一言「芝居は辛い現実を忘れるためにある」で生き返ったり、楽しい工夫が盛りだくさんの2時間40分、これがミュージカルの王道なんだよね。