群像劇の多い菜の花座、どうしたって集団演技が随所に出て来る。今回の『ガード下★魔女は踊る』は、ガード下に住まうホームレスたち中心の舞台なので、たむろするジジババたちが集まっちゃ、ああだこうだを繰り返す。しかも、演技エリアが、ガードの入り口周辺に限られる、これ動きが単調になって、演出としちゃあ辛いところだ。せいぜいが立ち話か、道路縁に座ってるか、それしかないわけで、その単調な構図をどうやったら飽きさせず見せられるか、苦心のしどころだ。立ち位置だったり、姿勢だったり、小さな動きだっり、細かく指示しながら、ええーっ、そんなのおかしい?!って観客に感じさせないよう工夫を重ねている。
集団演技の難しさは、話しの中心になってる役以外の人たちの振舞い、仕草、表情、など、つまりリアクションをどうするかにある。話し手に共感したり、驚いたり、バカにしたり、無視したり、内容しだいで様々反応するが、それを客席届くようにしなければならない。それも、うるさくなく、時に何気なく、時に大仰に。回りを囲むいわば脇役たちの自然な演技が、集団シーンを生きたものにする。
これが意外と難しい。感情の表し方は、役の性格によって変わってくる。発せられたセリフに対しても、反応は一律同じではないからだ。しかも、仮に驚きを表すにしても、井戸端会議大好き婆ぁと、拗ね者、じゃ当然その表現は異なる。言ってみれば、十人十色、千差万別ってことだ。ここで大切になるのは、役者一人一人の人物理解なのだ。どこまで、その役を深めているかが決め手になる。できれば、役者が自分でその演技を作ってくれればいいんだが、なかなかそうもいかず、シーンの一つ一つ、セリフの一句ごとに役者たちの仕草をリードして行かなくてはならない。
例えば、座り方一つにしても、ホームレスだからって、いつでも胡坐、じゃまずいわけで、時に立膝、時に片膝立て、時に体育座り、時に正座、時に膝立ちと様々なバリエーションがあって、それを適切に選びとってくれなくちゃならない。それぞれの姿勢にその人の人柄やその場の気持ちがすべて現れるからだ。さらに、周りとの調和と変化ってことにも気遣う必要があって、これは外から見つめる演出の仕事だ。
最後の仕上げ段階、今苦労してるのが、この集団の作り方、動き方なのだ。特に、難物は、ホームレスたちが届けられた食料を奪い合うシーンだ。これがなんと3回も出て来る。明らかに台本の失敗だ。すまん!と心で詫びつつ、この難しい場面に挑んでいる。

ほら、この殺気立った様子、カメラだってぶれるほど、食い物争奪のリアルが出せているだろう。だが、台本の失敗は、この奪い合いの時間がけっこう長く続くことなんだ。まさか、取っ組み合いさせるわけにもいかず、ちまちまと小競り合いを続けてもらってその場をしのぎ切っている、が、これが難しい。もうすでに10回以上稽古しているが、なかなか、なかなか。
現実に腹空かしたホームレスたちの真ん中に食料放り投げれば、壮絶な戦いになるだろうが、ここはお芝居、それもミュージカル仕立て、欲と欲とがぶつかり合っても、憎しみにまで発展させちゃならない。そんな、全体を見通した演技指導も必要になる。
クライマックスは、立ち退きを伝えに来た市役所職員を全員で吊るし上げるシーン。ここも一人一人の怒りと憤懣が吹きあがらねばならない。ある意味、主役二人の淡い恋模様よりも難敵だし、大事な場面ってことになる。
ファンタジーながらも、社会から弾きとばされた者たちの怨念をとこまで再現できるか、あと2日、ぎりぎりまで稽古は続く。