ステージおきたま

劇団と農業と韓ドラと、そして、世の中に一言

沖縄終戦の日に『沖縄戦』読み終わった!

別に意図したわけじゃない、さっさと読み終えて次に行きたかったけど、ページの一つ一つが重くてね、っていいかっこすんなよ!加齢により読書スピード激減!って正直に言えよ。
 
西田昌司の「ひめゆりの塔誤った歴史」発言に触発されて、本当のところも一度確認しておこうと思った、ってのもウソ。
 
ユーチューブで著者の林博史先生の話しを聞いて、あっ、この人の書いたものなら本物だ、ここらで沖縄知識をリニューアルしとかなくっちゃって思って買い込んであった本なんだ、なぁんてことはどうでもよくて、沖縄戦だよ、問題は。「なぜ20万人が犠牲になったのか」
 
 
読書ノート、たくさんメモしてるなぁ。
 
<初めは好意的だった島民も、軍の強圧的な、食糧資材の調達、動員などで反感を募らせていった。 >
島民を守るための進駐じゃなかったってことね。食糧の現地調達、つまり強奪は日本軍のデフォルト、そりゃ恨まれるさ。
 
八重山では、島民が米軍に保護されることを許さず虐殺し、あるいは飢餓に追いやりながら三人の戦隊長は全員生き延びたのである。 >
沖縄だけのことじゃないが、日本軍で許せないのは、偉そうに玉砕とか特攻とか命じてた司令官たちの多くが、戦後もいけしゃーしゃーと生き延びてることよな。たまに自決したりするとやたら賞賛される、牛島中将とか長勇参謀とか。
 
<沖縄の多大なる犠牲の原因に天皇の反撃への固執があった。その目的は天皇天皇制の維持のため>
だいたい、日本軍には国民を守るって意識は二の次三の次、守る主体は「御国」あるいは「国体」つまりは「天皇」。これ、天皇自身もその意識で固まってたから。
この本には出て来ない、たしか半藤さんの昭和史だった気がするけど、終戦直後、昭和天皇は米軍に対して沖縄を差し出す提案さえしたってことだから。
国とか国体とか天皇とかってかしずく者たちは信用できねえよな。
父親の罪深さを心深く悔いたから、平成天皇の慰霊行脚があったし、沖縄にはなかなか足を運べなかったんだと思うんだが、どうだろう。
 
<住民たちを自決に追いやったのは、日本軍の中国での残虐行為と米兵に対する過剰な恐怖の植え付けが原因だった。 >
<兵士や看護師が日本兵の残虐さを語った、負けたらこうなる、と。 >
どんだけよ!日本軍の卑劣さ残忍さって。
沖縄の住民が米兵に降参しにくかった理由の大きな要素がこれだから。
特に少女たちが自死を選んだ理由。自国軍人の残虐さを米兵に重ねたからってこと。
まぁ、皇国意識とか、戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けるな」の刷り込みもあったろうけど。
 
住民が投降を実現できたかどうかの分かれ道は、軍が一緒にいたかどうかだったってことも書いてある。
日本軍が守ったんじゃない、その反対、軍が一緒にいたから、攻撃にもさらされたし、前線に無理やり駆り出されたし、時には死を強要されたし、米軍に投降することも出来なかったってこと。
北部に避難させられた住民子供や高齢者も、作戦本部が首里を捨てて南部に移動したときに同行させられた者たちも、軍と一緒だった故に多くの犠牲者を出した!
もし、軍だけが移動して戦っていたなら、多くの住民は死なずに済んだってことだ。もちろん、軍に島民たちを守ろうという意識なんてなかった。
 
正規の手続きも踏まず、年少者や中高年の男たちを戦場に、兵士として、あるいは軍夫として引き連れて行った。それら多くの事例のうち、兵士たちの看護や身の回りの世話のために同行させたのが、ひめゆり学徒隊他の女学生たちだった。
 
ひめゆり学徒たちの悲惨さは、南部での徹底抗戦を軍が諦めた瞬間、各自故郷に戻れと、放り出されたこと。激しい攻撃の中、密林を逃げ惑い、射殺され、あるいは自ら命を絶った。
軍は守る気なんて、全然なかった!
 
と、読み終わって思い出すままに書いて見ても、自民党の西田や参政党の神谷が主張するような、島民を守るための軍隊や戦闘行動じゃなかったってこと、嫌ってほど事例が挙げられている。
 
歴史をつぶさに見つめること、それがあの日本で唯一の地上戦で亡くなった多くの人たちを弔うことになる。それこそ、沖縄慰霊の日の正しい行いだな。